スウィート・スウィート



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 冬の厳しい寒さは立春を過ぎても一向に収まる気配を見せず、朔風はびゅうびゅうと唸り声を上げて吹き荒れ、古びた校舎の窓枠を揺すっている。だが、そんな外の寒気も暖房完備の室内ではあっという間に暖かな空気へ早変わり、だ。文明の利器とは何て素晴らしいのだろう、とコートの前を掻き合わせ、震えながら教室から走ってきた木戸は思った。
 生徒会室、と書かれた可愛らしいプレートが下がる部屋は既に暖房が利いていて、ドアを開けると気温差が何度あるのだろうかと疑問に思うほど暖かい空気が流れ出てくる。生徒が普段学ぶ各学年の教室とこの生徒会室のある特別棟はひとつの校舎を隔てて別校舎にあり、しかもその間を結ぶのは簡素な風が吹き抜ける渡り廊下である為、 冷たい北風の猛威に直に晒されながら駆け抜けねば、生徒会室へと至ることは出来ないのだ。どうしてこんなに離れているのか、移動の度に学園側を問い詰めたいと思っているのは恐らく木戸だけでは無いだろう。
 ふう、と悴んだ手に白い息を吹きかけながら、生徒会室のドアを閉める。中を覗くと普段なら木戸よりも早く来ている大隈や山縣の姿が見えなかった。意外と広い部屋にはぽつん、とパイプ椅子に腰掛け、折り畳み机に薄い本を広げている伊藤の姿があるだけだ。珍しいな、と思わず呟いたら、伊藤が振り向き、にこりと笑って理由を説明してくれた。

「山縣は部活のほうで用事があるらしいです。大隈は担任に呼び出し食らったらしくて」
「こっちもだよ。大久保さんは岩倉先生に呼ばれてるから職員室に寄ってくると。聞多は・・・・・・江藤君に捕まって生徒指導室だそうだ」

 生徒会のメンバーが全員揃うことは少ないけれど、ふたりきりということもまた少ない。今日はその数少ない一日に当たってしまったらしい。首に巻いたマフラーを外し、肩にかけた学生鞄を下ろす。少し苦い笑みを浮かべて同学年の二人が遅れる理由を述べる伊藤に木戸は同じように苦笑いを返して、こちらも同じ学年である二人が遅れる理由を伝えた。
 壁際に連なるパイプ椅子を動かし、伊藤の隣に座り込みながら、大きな溜息を落とす木戸に伊藤は始めは目を丸くしてそれから笑い声をあげた。

「聞多、また江藤先輩に捕まったんですか? まったく懲りないなあ、どっちも・・・。で、今回の罪状は?」
「何時もと同じだよ。学園内での物の売買。何でも新橋女子の写真らしい」
「良いなあ、僕も欲しい。あそこ、可愛い女の子多いですよね」

 心底楽しげな伊藤とは正反対に木戸の纏う雰囲気は重たげで秀麗な顔にはあからさまに疲れ切った表情を浮かべられている。次に会った時、また江藤から小言を云われると思うと・・・、頭痛がしてくるのも仕方が無いことだろう。
 井上とは同じ生徒会役員であり親しい友人であり出身中学校も同じである所為か、はたまた大久保よりも木戸のほうが話しかけ易い所為か、江藤の矛先は常に木戸に向くのである。今までは曖昧な笑みで交わしては来たけれど、廊下で延々と罪状を述べられ改善を求められるのは鬱陶しくてならない。本人に云ってくれ、と叫びたくなる。木戸自身は江藤という人物が嫌いでは無いだけに結構辛いものがあるのだった。

「御愁傷様です」
「江藤君もいい加減諦めてくれないかな・・・・・・」
「無理でしょうねえ」

 表面上だけ苦いものを含んだ笑顔をしてみせる伊藤に木戸は再び大きな溜め息を吐きながら、ぽつぽつと疲労を滲ませた声を放つ。諦めの色が濃いそれを伊藤は木戸に追い討ちをかけるようにあっさりとした口調で一刀両断した。

「だよなあ・・・・・・。じゃあ聞多のほうを・・・」
「十中八九、無理ですね」

 冷たい切り返しが来ると解ってはいたものの思っていたよりもダメージの大きいそれに木戸は頭を抱えてか細い足に支えられた机に突っ伏した。暖房の温風をもってしても暖まらない机に頬を押しつける。腕に隠された唇がまた手厳しい一言が返って来ると知っているのに淡過ぎる希望の光を紡ぐ。
 すかさず希望を打ち消しにかかる伊藤の科白は彼自身、井上と数年間親友をやってきて確信した事柄だった。伊藤も井上の金に対する執着には良くも悪くも振り回されて来たのだ。今更井上の気質を変えることなど例え天から槍が降ってこようとも刀が降ってこようとも出来やしないことを彼はよく知っている。
 伊藤の情け容赦の無い言葉に木戸は僅かに持ち上げた頭をもう一度机に伏せた。明日が土曜日なのが唯一の救いだと思う。しかも建国記念日も加わって明後日明々後日と三連休だ。木戸としてはこの三日間の内に江藤が今日の井上の罪状を忘れてくれることを願うばかりである。
 暖房の人工的な風に当たりながら、はあ、と今日何度目か解らない溜息を零す。伊藤はそんな木戸を横目に見ながら苦笑いをして、ぱらりと手許の本を捲った。紙を捲る音にふと木戸が顔を上げ、その本を見遣る。そして微かに目を見開いて、頭の中に浮かんだ疑問をそのまま口にした。

「俊輔、何だそれ」
「ああ、これですか?」

 伊藤が広げている本は男子校というこの場所には余りにも不釣合いで、伊藤という人間にも酷く不似合いな華やかさと愛らしさを持っていた。可愛らしいイラストに取り囲まれた本の内容は今街を賑わしているイベントに関するもの。ぱたん、と本を閉じ、表紙を見せる伊藤に木戸は不思議そうに小首を傾げてその本の名前を読み上げた。

「バレンタイン用チョコレートの作り方?」
「ええ、もうすぐバレンタインでしょ。僕も聞多に上げようと思って」

 伊藤は何でも無いことのようにさらりと述べると、また先程のページへと戻る。そこには甘くないほろ苦チョコレートケーキ、と題されたチョコレートケーキの作り方が載っていた。解り易く説明する為に写真がふんだんに使われた紙面は確かに見た限り、写真通りの美味しそうなチョコレートケーキが初心者にでも簡単に短時間で出来そうに思えてしまう作りをしている。
 その辺の道を歩く恋する女子高生のようにレシピとにらめっこをしている伊藤を微笑ましげに見つめながら、木戸は暖房の風に乱され額にかかる髪を払った。
 伊藤と井上が恋仲・・・と呼ぶには二人とも合コンの予定が絶えないようなので微妙なのだが、どうもそういう関係になっているらしいということを木戸は知っている。というか、彼らは隠そうともしなかった。学年が違う為に学校内では朝と昼休み、そして放課後程度しか会うことが出来ないからか、当たり前のように生徒会室でいちゃついてくれるのである。おかげで二人の仲は生徒会公認状態だ。大久保も山縣も大隈も溜息を落とし、眉間に皺を刻みながらも、この二人を止めることなど出来ないことを悟ってしまっているので、誰も何も云わない。せいぜい大久保が程々にしなさい、と忠告をするくらいだ。
 それは木戸も同じで二人の仲の良さは中学時代から証明されているから、ある程度の驚きはあったけれど、すぐに慣れっこになってしまった。それに木戸には彼らに何も云えない理由があるのだ。

「木戸さんも大久保さんにあげたらどうですか?」
「え?」

 そう、木戸もまた大久保と付き合っているのである。
 一年生の十一月、生徒会選挙に学級委員を務めていたこともあってか推薦され、書記となった時、同学年で会計となった大久保と初めて会話をした。クラスも違い、またお互いに共通の友人などもほとんど居らず、接点がまるで無かった二人は生徒会という場で初めて互いの存在を認識したのだった。
 初めは木戸も徐々に知っていった考え方の違いやどうしても苦手だと感じてしまう性格から、いけ好かない奴だと思っていたのだが、何時の間にやらこんな関係をそのいけ好かない奴と築いてしまっていた。それももう半年以上前からである。だから大久保が人目を考えずに戯れる二人に忠告をしたとしても、すぐに「あなただって」と笑い飛ばされて終わってしまうのだ。
 木戸は伊藤に云われたことが咄嗟に理解出来ずに素っ頓狂な声を上げた。伊藤がもう一度、にっこりと笑ってさっきと同じ言葉を繰り返す。

「木戸さんもバレンタイン、大久保さんにチョコレートあげたらどうですか?」
「何でだ?」

 邪気の無い笑みを浮かべて問い掛けてくる伊藤に木戸は逆に尋ね返した。伊藤の言わんとするところは解っていたけれど、素直に乗ってやると何だか危ない方向へ話が転んでしまいそうに思えたのだ。
 わざと惚けて見せ、わざとらしく首を傾げる。伊藤が茶目っ気を滲ませた表情で木戸を揶揄うようににやりと笑った。

「解ってるくせに。大久保さん、ああ見えて甘党だから喜ぶと思いますよ」
「嫌だ。何でわたしがそんな女みたいな真似」
「良いじゃないですか。元々バレンタインって云うのは大切な人に贈り物をする日なんですから」

 ヨーロッパではメッセージカードや花束、そしてチョコレートを贈るんですよ、とぱらりと本のページを捲りながら、イギリスに留学経験のある伊藤は欧米流バレンタインを木戸につらつらと説明した。開かれたページでは可愛らしいハート型に刳り抜かれた黒と白のクッキーがバラバラとラッピング用の包装紙の上に散らばっている写真が一ページ占拠している。
 木戸はそれをボーっと見、伊藤の説明を受け流しながら、話題を逸らそうと頭を捻る。けれど、二月の初めという微妙な時期にそう急ぐ仕事も無く、この話題を遮ってまで話すことも無い。もう少し経てば、卒業式と退寮式の準備に学年末試験が重なって大忙しになるのに、どうしてバレンタインとは2月14日なのだろうと根本的などうしようもないところに苛立ちを感じた。

「そうだ! ねえ木戸さん、一緒にチョコレート、作りませんか?」
「は!?」
「うん、そうしましょうよ。木戸さんのとこなら台所付いてるし、丁度良いじゃないですか」

 良いことを閃いた、とばかりに明るい笑みを向けてくる伊藤に木戸は驚きに満ちた大きな声を出した。一体何を言い出すのか。けれど、こういう時の伊藤は些細なことでは止まらない。こういう風に企画を立ち上げて詳細までさっさと決めてしまう手際の良さは木戸も常々感服しているところではある。だが、何もこういう時に発揮しなくても良いではないか、と木戸は疲れた表情を浮かべながら思う。
 一人納得したようにうんうんと頷いて、何を作ろうかと既に次の段階まで話を進めている伊藤。唇の端から溜息が漏れた。

「やらないって云ってるだろう。それにわたしは土日は齊藤先生のところへ行かないといけないから忙しいんだ」

 中学校時代に剣道の全国大会で上位にまで押し上げてくれた恩師である齊藤弥九郎の元を木戸は道場に通うことを止めた今でも時折訪れている。時間を見つけてはやってくる木戸を弥九郎もその子どもである新太郎も歓之助も笑って出迎えてくれる。そんなアットホームな雰囲気に包まれてか、実家に帰るよりも居心地が良いと感じ、よく逃避先にも選んでいる。竹刀を振り回していれば、無心になれるからだ。
 土曜日と日曜日はそんな弥九郎に子ども達の稽古を頼まれていて(どうやら弥九郎と新太郎が出張で出かけてしまうかららしい。確かに鬼歓だけでは子ども達の稽古は出来まい)、久しぶりに好きなだけ竹刀を振り回す予定なのだ。恩師との約束を今更反故には出来ないし、伊藤の提案と弥九郎との約束なら木戸は弥九郎との約束を取る。

「じゃあ月曜日は?」

 憮然とした表情で絶対に断る!と雰囲気で示している木戸に伊藤はにこりと微笑みながら訊ねかける。その問いに思わず、う、と木戸は言葉に詰まってしまった。
 ここで上手く月曜日の予定をはぐらかしておけばそこで終わるだろうに、そういうことが出来ないのが木戸の不器用なところだった。殊に伊藤に関しては、その茶褐色の瞳に覗き込まれると心の奥まで全てが見透かされているようで、咄嗟に嘘が吐けない。だからつい、馬鹿正直な反応を返してしまうのだ。

「何にも無いんでしょ? なら良いじゃないですか、やりましょうよ。木戸さんとこの台所使えるなら、わざわざ寮の厨房借りなくても済むから僕としても助かるしー。大久保さんも絶対喜びますって。こういうちょっとしたことが相手を自分に夢中にさせる秘訣なんですよ! で、何作ります? トリュフとか生チョコとか? あ、ケーキも良いですよねー・・・」

 確かめるように小首を傾げる伊藤に木戸は何も云うことが出来ず、押し黙った。そうこうしている内に伊藤は勝手に話を進めていく。次々に飛び出る言葉に木戸は諦めを滲ませた溜息を落とすしかない。
 うきうきと楽しげに語りながら手許の本を捲る伊藤を横目に木戸はもうどうにでもなってしまえ、と半ば投げ遣りな気分で伊藤の企画に巻き込まれ流される覚悟を決めた。伊藤の真意なんて木戸にはさっぱり解らないけれど(一人で作るのが嫌だっただけなのかも知れないし、素直になれない木戸を後押しする為かも知れないし、もしかしたら本当にキッチンを使いたいだけかも知れない)心底嬉しそうな、わくわくと期待に満ちた表情を見ていると、ほんの少しだけれどやってもいいか、と思えてしまったのだ。木戸は何故か何時もこうしてつい伊藤に絆されてしまうのだが、それは伊藤の一種の不思議な才能だと、木戸は思っている。
 華やかなデコレーションケーキ、可愛らしいクッキー、素朴なパウンドケーキ、マドレーヌにブラウニー、トリュフに生チョコレートとたくさんのレシピが並ぶ中、伊藤は首を捻りながら真剣な顔で本を見つめる。
 そんな伊藤を眺めながら、木戸はふうと疲れた吐息を零して、再び机に突っ伏す。ぱらり、ぱらり、ページを捲る音がしんとした室内に一定の速度で規則正しく流れていく。穏やかな空気、冬風に負けない暖かさに包まれた部屋で木戸はしばらく後にやってくる大久保が生徒会室のプレートを揺らすまで、うとうとと微睡むのだった。








続きは何処のお約束BLですか、って感じです。ていうか、下手なことしたら木戸さんを女にしたって良いんじゃないか的なよくある乙女系BLになること必至です。
そうならないよう努力しますが、プロットが既に何処の女子高生?って感じなので今更です。大久保さん相手の木戸さんは乙女だと常に主張してます私。
とりあえず最後には大木戸、聞俊、共にタイトル通り甘々になる予定です。ええ、意地でも甘々にします。せっかくの学園パロ、甘くしないでどうするんだ!

ちなみに生徒会メンバーは会長兼寮長大久保、副会長兼副寮長木戸、書記伊藤・山縣、会計大隈・井上です。大久保木戸、井上伊藤は確実に同室。
三条岩倉両公は生徒会顧問兼寮監。江藤が風紀委員長、西郷は大学生。大久保木戸井上は同じクラス、伊藤大隈は同じクラスで山縣だけ違うクラス。
その他設定は追々決まり次第(そしてその設定で小説を書く場合)、ちゃんと別ページを作ります。今のところ、暫定ということでここに置いときます。