|
「はあ、は・・・あっつう・・・」 頬を流れる汗も気にせずに荒い息を吐いた桂はそのままごろん、と勢いよく道場の床へ寝転がった。ひんやりとした床が心地好い。結い上げた髪の隙間からこめかみを伝って大粒の汗が滴り落ちてゆく。高い天井を見上げ、深呼吸をする。大きく息を吸って、吐いて、吸って。そんなことを何度か繰り返すと熱くなった身体が静まっていくのが感じられた。 「鍛錬が足りねえんだよお前は。こんくらいで音ぇ上げるなんてその証拠だ」 隣に座り込んだ歓之助がタオルで汗を拭いながら、暑さに負けた疲れの滲む顔で床に横たわる桂を見下ろして云う。 実際は二人とも先程まで中学生としては有り得ない距離を走ってきたのであり、本来ならば、ばてていて当然なのだが、そんなことは体力に自信のある歓之助には解らない。 「煩いな。俺はお前みたいな体力馬鹿じゃないんだよ」 「あっ、馬鹿って云ったな。ちょっと頭が良いからって偉そうに」 歓之助の馬鹿にしたような何時もの物言いにカチンときた桂は反撃するように歓之助の弱点を突く。相手が嫌がると知っていて云っているのだから、本心をそのまま吐露してしまった歓之助よりも性質が悪い。 桂の安易な挑発に喧嘩っ早い歓之助はやるか?とでも云いたげに桂の顔を覗き込む。普段ならそのまま取っ組み合いになるのだが、さすがに今の状況では桂も応戦出来ず、小さく首を横に振った。汗が、散る。 「あっつ・・・」 道場の開け放たれた引き戸から涼風が入ってくる。桂はパタパタと胴着の襟を浮かせてその冷えた空気を取り込み、身体を冷まそうと煽いだ。着崩れた胴着の合い間から汗に濡れた白い胸が見える。決して鍛錬を怠っている訳では無いのに、中々筋肉がつかない身体は細身で胸板も薄い。 浮き出た鎖骨に思わず欲情しそうになってサッと目を逸らす。何を考えているんだろう、俺は。惑乱する頭を抱えて歓之助は悩んだ。ふっと目線を揺らした先、厚みの足りない肩の右端に浮かぶ朱い色にかっと頬を赤らめる。一昨日、外からは見えないようにと服の内側に隠れるようこっそりと残した、それ、は。 「何見てるんだ?」 「な、何でもねえよ」 横目に盗み見ていた歓之助の視線に気付いた桂の顔がにやりと笑う。人の悪そうな揶揄い含みのその笑みに歓之助は狼狽えて、震える声で否定の言葉を紡いだ。 けれど、そんな否定を桂が信じるはずも無く、笑みは深まっていくばかり。ふいっと顔を背けて、歓之助は何とかドキドキと高鳴る胸を落ち着かせようと深く息を吐く。そんな歓之助の袖を軽く桂は引っ張った。 条件反射で振り向いた途端、片肘を立てて身体を起こした桂に胴着の襟を掴まれた。訝しげに眉を顰める間にも近付いてくる顔。囁くように名前を呼ぶ声は妙に擦れて甘い。そのまま力任せに引き寄せられて、桂の上へと倒れ込む。慌てて床に腕をつくと覆い被さるような形になった。見下ろす桂の顔が愉しげに笑っている。 「何だ、危な・・・・・・っ」 突然の行動に抗議しようとする唇に触れる何か。その渇いた感触に身体が強張って、動けなくなった。視界いっぱいに広がるのは色っぽく得意げに微笑む相手の顔。視線がかち合う。 その瞬間、しばらく状況を把握出来ずに固まっていた歓之助の頬がかっと赤くなった。気付いてみれば、どう考えてもおかしいこの状態。息を止めてしまっているからなのか、それともこの暑さの所為か。頭が、くらくらする。ゆっくりと伏せられた長い睫毛、汗で額に張り付いた髪の一房、頬を伝う滴、全てがなまめかしく見え、瞼を閉じることも出来ず、そのまま凝視する。 桂によって与えられた口吻けは辿々しくほんの少し確かめるようにカサついた唇を舐めただけで終わった。けれど、それだけでもまだまだ初心な少年である歓之助には大きな刺激だった。 「小五郎、お前っ・・・!」 茹蛸のように顔中真っ赤に染めた歓之助を見て、桂はからりと笑い、掴んでいた胴着の襟を離した。その顔には先程の中学生らしからぬ嫣然とした表情など欠片も見当たらない。 歓之助は皺になった襟を正しながら、ばっと大袈裟なアクションを取って桂の上から退いた。身体を起こした桂は乱れた胴着を直して、立ち上がる。 「歓之助、先、シャワー借りるな」 そう云い残して、桂は道場の隣にある部屋へと足を向けた。その後姿を見つめながら、歓之助は口をぱくぱくと開閉して、絶句する。 あんな風に煽っておいて、あれだけで終わるなんて。ただでさえ暑さで熱を孕んだ身体を別の意味で更に熱くさせられて、どうやって治めろというのか。シャワーを浴びたいのは歓之助のほうだった。この熱に浮かされた頭を正常に戻す為のとびっきり冷たい奴を。 「なあ、ちょっと期待した?」 それなのにふいにくるりと振り向いた桂は更に煽るように悪戯っぽく首を傾げ、こんなことを云うのだ。絶対に歓之助を揶揄っているとしか思えない。 解ってはいても、歓之助は桂のこの笑みに弱い。底意地の悪い、それなのに何処か歓之助を魅了させる色気を放つ笑い方。小悪魔のような普段の真面目な姿からは想像出来ないくらい艶やかなそれに歓之助は翻弄され続けている。それこそ、桂と出会ってから今に至るまでずっと。 「あっつう・・・」 引き戸の向こう側へ消えていく自分よりも数センチほど小さな背中を見送って、歓之助は床へごろりと寝転がる。そして未だ熱い頬の原因を知りながらも、暑さをもたらす気候へと小さく文句を呟いたのだった。 |