セカンド・ディシジョン









「俊輔、イギリスへ行かないか」
「は?」

 唐突にそんなことを云われたのは中間テストを目前に控えた五月の半ば。GWが開けたばかりの月曜日のことだった。
 ガコン、と音を立てて、自動販売機から落ちてきたジュースの缶を入り口に手を突っ込んで取り出しながら、聞多はこの後ゲーセンでも行かないか、と誘うときと同じ口調で何でもないことのように云った。それに咄嗟に云われたことが理解出来ず、ぽかんとした表情で俊輔は手渡されたコーラのプルタブを持ち上げる。プシュと炭酸が抜ける音がする。それはまるで俊輔の頭が混乱から煙を噴いたような音だった。
 聞多は再び同じ科白を繰り返して、自分も缶の飲み口に唇を押し当て、新商品の炭酸飲料の何処か不思議な味を咽喉へ追いやる。新しいもの好きな聞多は大抵の新商品に手を出すのだが、外れることもしばしばあった。今回ははずれのほうだったらしい。甘ったるいだけで美味しいとは云えない味の飲み物を次々に咽喉へと押し込んでいく。

「イギリスって・・・どうしたんですか?」
「いや、前々から夏休み辺りに海外行きてえなって思ってたんだけどな。周布先生が許可してくれたんだ。何か今、市が奨励してる短期留学制度に推薦してくれるらしい。だからお前も行かないかなーと思って」

 両手で缶を持ち、少しずつコーラを口へ運びながら、俊輔は小さく小首を傾げて問いかけた。いきなりイギリスへ行かないかと云われても、詳細が解らないのでは、軽率に頷くことは出来ない。
 上目遣いで訊ねる俊輔に聞多はあっさりと簡単に説明をした。俊輔は昼休みに周布先生に呼び出されていたのはこのことだったのか、と一緒に昼食を取っていた最中、聞多が校内放送で呼び出しを食らった理由を知った。高杉や栄太郎達がまた何かやらかしたんだろ、と気にも留めていなかったので、俊輔もまた金銭のやり取りでもしていたのが学校にバレたのか程度にしか思っていなかったのだ。

「でも、お金かかるんでしょう?」
「まあな、向こうは物価高いし」
「じゃあ無理です。家にそんな余裕無いですから」

 父親が大企業に勤め、管理職をしている聞多の家とは違い、俊輔の父親は極普通の中小企業の平社員である。とてもでは無いが、そんな金が出てくるとは思えない。何時も母親が赤字を出さない為に努力している姿を見ている俊輔にとって、海外留学を夢想すること自体が罪のような気がした。

「そういうなって。俺だってお前んとこの事情くらい知ってる。成績優良者には市が幾らか援助してくれるんだってさ」
「余計、無理じゃないですか」

 あっさりと否定する俊輔の背中を叩いて、とっておきの情報、とでも云いたげに明るく笑った。それに俊輔は一瞬期待してみたのだが(俊輔だって本当は行けるものなら行きたいのだ)、数秒も経たずに裏切られた。
 肩を落として、ぼそりと嘆きの言葉を呟く。成績優良者? 去年の僕の通知表、隠そうとしたのに奪い取って中身見たの、貴方でしょうが。
 英語と数学。その他はそこそこなのだが、この二教科が決定的にダメ。去年、赤点が出なかったのが奇跡なくらいで、それはテスト以外に提出物や授業態度を評価してくれた先生と、テスト前に自分達の勉強を放って、一生懸命に教えてくれた友達や先輩達、根気強く要点を叩き込んでくれた吉田先生のおかげである。

「大丈夫だって! 今年の成績が行くそうだから、これから頑張って中間と期末で良い点を取ればいい」
「そんな無茶な。それに「幾らか援助」であって、全額では無いんでしょう? 家には何十万も出す余裕なんてありませんよ」

 あくまでも楽観的な聞多に俊輔は呆れるばかりである。赤点ギリギリの自分が本当に英語と数学で良い点が取れると思っているのだろうか。溜息を零しつつ、聞多の「とっておきの情報」の穴を指摘する。たった数万円でも俊輔の家には大打撃である。どう考えても無理だ。

「そこはなー・・・ちょっとキツいんだけど、お前なら付いてこれると思ってる!」
「は?」

 聞多が飲み終わったジュースの缶を床に置いて、俊輔の両肩を掴む。突然の行動に俊輔は目を白黒させて、聞多を見た。その顔がにやりと笑う。

「俺の親戚が飲食店やってんだけど、人手が足りないらしい。そこでバイトしろ」
「バイトなんて校則違反どころか法律違反じゃないですか」
「大丈夫。無償の手伝いってことにしとけばいい。俺に誘われて一緒に手伝ってました。言い訳はそれで十分だ。俺も一緒にやるし」

 自信満々に云い放つ聞多にいやいやいやと俊輔は即座に突っ込んだ。しかし、聞多は俊輔の突っ込みを諸共せずにさっさと話を進めてしまう。
 確かに自分が働いてお金を貯めればいい。時給を一般的な高校生の680円としても、毎日入れば十分なお金にはなる。休日を含めれば、十分すぎるほどだ。だが、バイトしながら、テストで良い点を取るために勉強もしなければいけない。ってどれだけハードなスケジュールを過ごさせるつもりだこの人、と俊輔は再び溜息を漏らす。
 俊輔には聞多の思考回路がまったくといって良いほど、解らなかった。そもそも、聞多はどうしてそうまでして俊輔を一緒に連れて行きたいのだろう。俯いて精神を落ち着かせて、俊輔はようやくその問いに辿り着いた。俊輔でなくても、聞多と親しい人はたくさんいる。聞多は明るくて気さくで開けっ広げな性格だから、友達も一杯いるのだ。
 例えば、例えば高杉では、どうしていけないのだろうか。高杉なら、聞多と同じ企業に勤める管理職の父親を持ち、お金にも不自由していない。頭も良くて、英語は少し苦手みたいだけれど、それでも久坂と張り合って学年主席の取り合いを繰り返しているのである。聞多とも仲が良く、外国にも興味がある。申し分ないではないか。俊輔をお膳立てして連れて行く必要など何処にも無い。

「どうして、」
「ん?」
「どうして、聞多先輩はそうまでして僕を一緒に連れて行きたいんですか?」

 ぽつりと思わず口をついた言葉に聞多が訝しげに眉を寄せて、肩に手を置いたまま、俊輔の顔を覗き込む。その瞳を真っ直ぐに見返すように、俊輔は下を向いていた顔を上げた。
 初めは混乱するばかりでとんとん拍子に勝手に進んでいく話に戸惑うばかりだった。でもこうして考えてみて思う。俊輔が聞多に聞きたいことは、それで本当にイギリスで行けるのかとか、お金は大丈夫なのかとか、そんなことじゃなくて、どうして「自分」なのかということ。仲が良いと云ったって、他の人と特別変わった付き合いをしている訳ではない。あくまで先輩と後輩という関係である俊輔をどうして誘ったのかということ。

「そりゃ、お前と行けたら楽しそうだからに決まってんだろ」

 上目遣いで見上げる俊輔に聞多は今更何故そんなことを聞くのかとでも云いたげに目を丸くして笑った。その笑顔に俊輔は酷く脱力してしまう。
 余りにも簡潔な答え。けれど、その言葉は俊輔の心のもやもやを即座に取っ払ってくれた。ひとつ呼吸をして、聞多の顔を見つめる。

「行きます、行きますよ。僕も連れてってください」
「そうこなくっちゃ!」

 決意を秘めた確かな言葉で俊輔は告げた。聞多と一緒に遠く遠くヨーロッパの島国へ旅立つことを。言葉の通じないせかいでたくさんのものを学ぶ為に。それは等しくこれから夏休みまでの数ヶ月をとても厳しくて大変なスケジュールでもって過ごすことになる。そんな中でも俊輔は不安よりも何処か曖昧な高揚感に包まれていた。
 二人で遥か彼方の異国を見る、その姿が脳裏に浮かんで消えず、聞多の笑みがそれに重なって見えて、俊輔は飲み終えたジュースの缶をゴミ箱へ放り投げて、瞼を伏せてそれを閉じ込めた。








中学生聞俊シリーズ。何故かシリーズ化。俊輔の高校入学までの二人を描けたら良いなあ・・・と思いつつ。タイトルは日本語で「二つ目の決断」のはず。多分。
色々な意味で無茶苦茶。まず聞多の提案が(ry でも史実みたいにお金を用意するのは無理だし・・・。まあ聞多が株で儲ければ良い話なんですけどね(お前)
聞俊はこの後、厳しい二ヶ月を二人で過ごして親交を深め、同じように周布さんの推薦を受けた山尾君、まさるん、遠藤さんの三人とイギリスに渡るのです。
中学時代の俊輔は常に聞多に振り回され、それでいて絆されていればいいと思います。だんだんと惚れていけばいい。