彼のワガママ









「・・・・・・」

 小洒落た雰囲気の店の前に並ぶ長蛇の列に大久保は絶句していた。人人人。人の山である。それも年若い女性ばかりだ。丁度、学校が終わり下校時間である所為か制服姿が目立つ。もう一度、手元の紙を見てみる。そこには可愛らしい店の名前と簡単な地図が描かれていた。地図が示す場所もさっき確認した看板に記されていた名前も全部一致している。ここだ。
 だが、大久保にはこの女子高生の中へ混じる勇気はどうしても出なかった。早く並ばなければとは思うものの、足が躊躇うのだ。五分ほど前からずっと一歩足を踏み出しては戻すということを繰り返している。元々大久保は人混みが好きではない。煩い人間も好きではない。本来ならば、こんな喧しい女の群れへ飛び込むなど狂気の沙汰としか思えない。こんなところへ出向こうとも思わないだろう。
 大久保がここにいる理由、それは同居人の我儘が発端である。熱に浮かされた同居人のうわ言のようなそれについ絆されてしまったのがいけなかったのだ、大久保はそう結論付けて、溜息を落とした。





「ぷりん、セント・ルーシエのプリンが食べたいです」

 昨日の夕方、授業が終わった途端にふらりと倒れた木戸は一晩経た今日になっても寝込んだままだった。病自体は季節の変わり目にありがちな単なる風邪だ。けれど、寮の部屋の狭いベッドで夜通し、止まない咳と高熱に身体を丸めて苦しむ姿を間近で見てしまうと、幾ら周りから(特に今風邪を引いている同居人から)普段、冷血漢だ薄情だと罵られる大久保でも、僅かながらの憐憫の情が沸いてくるのも自然なことだった。ましてや、木戸は大久保の恋人でもあるのだ。
 だから、今朝、学校へ向かう際に聞いたのだ、真っ赤な顔をして布団に包まっている彼に。何か欲しいもの、食べたいものは無いですか、と。すると、擦れた声でこう返ってきた。
 聞き慣れない店名だったので、誰か知らないかと登校途中に出会った伊藤に問いかけるとあっさりと答えてくれた。近所にある、今、女子に人気の洋菓子店なのだという。木戸さんに頼まれたんでしょう?と全てを解った風な顔をしたこの後輩は簡単な地図を描いて手渡しながら、夕方は混みますから気を付けてくださいね、と忠告をくれた。聞くと、伊藤もまた木戸に付き合わされ、この店を訪れたことがあるのだそうだ。甘い物好きで美味しいものを食べるためなら熱意を惜しまない木戸らしい。巻き込まれるほうは堪ったものでは無いかも知れないが。
 そして、大久保もまたその巻き込まれた人間に当て嵌まるのかも知れない。好意からの言葉がまさか、こんなことになるとは欠片も予想していなかった。





 再び目の前の長い列を見遣る。しょうがない。あそこで頷いてしまった自分が悪いのだ。並ぶしか道は無い。そう思い、すぐ傍にあった最後尾へと並ぶ。まだまだ先は長そうだった。
 それにしても、見れば見るほど華やかで愛らしい装いのいかにも女子が好みそうな店である。男など辺りを見回しても、彼女に連れられて来た者が数名散見されるだけだ。ここに木戸は伊藤と一緒に来たのか・・・。一瞬、伊藤への哀れみを覚え、その後すぐにそれを打ち消した。あの女好きにはここは天国だろう。何しろ、ミニスカートの女子高生だらけなのだから。
 そんなことをつらつらと考えながら、順番を待っているとふいに後ろから声をかけられた。聞き慣れないそれに誰だろうと振り向くと、同じ学校の制服を着た背の低い少年が二人、立っている。片方は三段重ねのアイスクリームを持ちにこやかに笑って、片方はカフェオレのパックを手にぶすっとした表情をして、大久保のほうを見ていた。

「あ、大久保センパイだー」
「君達は・・・」
「一年の品川です。市ィ、そっぽ向いてないで挨拶しなよ。生徒会長だよ」
「こんにちは」

 確かに何度か会ったことはあるのに、咄嗟に名前を思い出せず、訝しげに眉を寄せると、それを察したのかアイスクリームを持った少年がぺこりと頭を下げて、名前を告げた。それを聞いて、大久保はようやく彼らの名前を思い出す。つい二週間ほど前に入ってきた新入生だ。それも長州中学からの。木戸を訪ねて、何度か生徒会室にも寮の部屋にも来ていたのに、度忘れしてしまっていたようだ。
 品川に促され、もう片方(名前は確か山田だ)も不機嫌そうな表情を崩さずに挨拶をした。何をした覚えも無いが、どうやら彼に好かれてはいないらしい。

「大久保センパイがこんなお店に来るなんて、何かあったんですかー?」
「いや、木戸さんに頼まれてね・・・・・・、ここのプリンが食べたいと云われて」

 品川がアイスクリームの溶けそうな部分を舐めながら、小首を傾げて問いかける。大久保には到底不似合いな店の前で無表情で突っ立っていれば、品川が疑問に思うのも無理は無い。
 大久保が唇に薄く苦笑いを乗せて返すと品川は何を勘付いたのか意味深に何度か頷いて、半歩後ろに居た山田を振り返った。

「ああ、木戸さんに。木戸さん、ここのプリン好きですからねー。でもじゃあ、僕らはお邪魔かな。市ィ、帰ろ」
「え、だって木戸さんにお見舞い買って帰るんじゃ、」
「いいんだってば。僕らは御役御免みたいだし。じゃ、大久保さん頑張ってくださいね。僕ら、応援してますから!」

 目配せをして山田の袖を引く品川に山田は目を丸くして反論を述べた。が、それも品川によって途中で遮られる。にっこりと茶目っ気たっぷりの笑い方をして、品川はそう云うと大久保の目を真っ直ぐに見た。品川の黒い瞳には愉しげな色が混じっている。勝手に何を察したのかは知らないが、それが真実に近いことはその後の口振りで解った。この後輩は多分に勘が鋭いようである。
 反対に山田は品川が何を云っているのか解らないようで、前よりももっと不機嫌そうな顔をしている。品川は不満げに唇を尖らせる山田の袖を引っ張ると、木戸さんに早く元気になってまたケーキ食べに行きましょうねって伝えておいてくださいと云い残して、夕方の人混みの中へと消えていった。

「はあ・・・」

 嵐のように去っていった二人に大久保は溜息を吐きながら、前に連なる人の群れを見遣る。本当に、まだまだ先は長そうだった。





「どうも有難う御座いましたー!」

 甲高いソプラノが大久保の背を後押しする。並び始めてから三十分ほど。ようやく大久保は目的のプリンを買うことが出来た。店内から出て空を見上げてみれば、淡くなった青の西側が薄っすらとオレンジに染まっている。一体何時だろうと腕時計を確認してみると、時計の短針と長針は五時半を指していた。そろそろ寮に帰らなくては、夕食に間に合わないだろう。
 肩にかけた学生鞄を抱え直して、寮へと向かう大久保の背中に明るい声が降りかかった。聞き慣れた軽いトーンのこの声は。

「大久保さーん、無事にプリン買えましたー?」
「伊藤君」
「こーゆうとこ、大久保さん苦手でしょ? 僕には天国なんですけどね。ここのお姉さん可愛いし」

 振り返るとやはり予想通り、伊藤がにやついた笑みを大久保に向けていた。隣には何時も仲の良い井上の姿もある。こちらも伊藤から事情を聞いているのか、表情が緩んでいる。何とも居心地が悪い。
 伊藤は未だ客で溢れる店内を見渡し、レジ打ちをしている大学生くらいの女性に目を留めるとにこりと笑った。井上の顔を見、彼の耳元まで僅かに背伸びをして耳打ちをする。

「でもきっと、木戸さん、喜びますよ。僕が云うんだから絶対です」

 くるりと顔を大久保に向けて、そう云い切る伊藤に大久保は手に提げたプリンの紙袋に視線を投げた。伊藤は木戸の感情を読むのがとても上手いから、この言葉も信用しても良いだろう。
 自信満々に外れることなど無いと云うように笑う伊藤の横で井上は何とも云えない苦笑いを浮かべている。まったく内部事情を知られている上に相手がこの二人では幾ら大久保とて敵うはずも無い。大久保と木戸がそういう仲になる際に助力をしてくれたこともあって、大久保はこの点においてだけは伊藤と井上に何時もの態度でいられないのだ。

「じゃ僕らはこれから新橋女子の子と合コンなので。今日はお邪魔しませんから存分にどーぞ。ただし、病人なんですからあんまり激しく、」
「伊藤君。変な気を回さないで良いから、ちゃんと門限までに、」

 愉快げに唇の端を持ち上げ、揶揄うように紡いでいく伊藤の言葉を大久保は最後まで云わせなかった。低い声が寮長として当然の科白を伊藤へ向ける。
 この二人は生徒の模範となるべき生徒会役員であるというのに、門限と寮則を破る常習犯なのだ。合コンに行く、と彼らが云ったとき、きちんと門限までに帰ってきたことが無い。この学校は自由な校風を売りにしているから、寮も勿論、そこまで厳しい規則が定められている訳では無いのだが、それさえも無視して青い春を謳歌する二人に大久保は常に溜息を零している。

「解ってますって! 行こう、聞多」
「伊藤君!」
「今日の当直、三条さんですから大丈夫ですよ。点呼、適当に誤魔化しといてくださいね!」

 大久保の寮長としての助言を遮り、伊藤は元気良く笑った。君がそう云ってまともに帰って来たことなど無いだろう、と大久保は思いつつ、井上の制服のシャツの袖を掴んで、夕暮れ時の雑踏に紛れようとする伊藤の背に鋭い声を浴びせる。けれど、そんな大久保の声など聞こえぬように伊藤は前に進むと、ふと何か思い出したのか、首を回して顔だけ振り向いた形で大きく叫んだ。

「あ、そうだ、後、木戸さんの薬、宜しくお願いします。あの人、粉薬、嫌いですけど問答無用で!」

 好き勝手に捲し立てた挙句、それだけを云い残して伊藤は井上を引っ張りながら、スーツや制服が入り交じる街中へと消えていった。
 残された大久保はもう本日何度目か解らない溜息を落として、手元のプリンの入った紙袋を見た。長州中学の出身者とはどうしてこうも皆が皆、揃って騒がしいのだろう、校風だろうか、それとも地域性だろうか、そんなことをぼんやりと思いながら。






「お帰りなさい、大久保君。遅かったですね、今日は生徒会も無いのに」

 寮の入り口でじょうろ片手にプランターに植えられた色取り取りのチューリップに水をやっていた三條は大久保が寮の門を潜るのを見留めるとふわりと彼特有の何処か浮世離れした笑い方をして寮へと迎え入れた。
 三條はこの寮の寮監の一人で学園の教師の一人である。旧家の家の出だという、笑みにまで育ちの良さが滲み出ている大人しい性格の青年だ。歳もまだ大学を出たばかりで若い為、生徒達に軽んじられている節もあるが、逆に親しみを持たれてもいるらしく、生徒達と共に遊びに興じている姿もよく散見される。

「ええ、少し寄るところがありまして」
「そうですか。そういえば、木戸君ですけど、余りに熱が酷かったのでお医者さんに往診に来て頂きました。解熱剤を飲ませたので、大分熱は下がっていると思います。疲れが溜まっていたんだろうって、お医者さん云っていましたよ。しばらく新入生の件で生徒会も忙しかったですから、それが原因でしょうか」

 大久保が短く返事をすると三條はプランターの傍へしゃがみ込んで、花の根元へ水をかけてやりながら、木戸の病状を説明し始めた。同室である大久保には伝えておいたほうが良いと思ったのだろう。
 三條は一通り話し終わると立ち上がり、下から大久保の顔を覗き込んだ。背の高い大久保と三條が視線を合わせようとするとどうしてもそうなるのだ。

「私も後で行きますけれど、先に木戸君が起きたら呼んでください。少しでも何かお腹に入れさせて薬を飲ませないといけませんし」
「いえ、全部私がやっておきますので大丈夫ですよ、三條先生。先生は今日、当直でしょう? これ以上、お仕事が増えるのも大変でしょうし」
「本当ですか? なら、お頼みしますね」

 そう云って大久保が微笑むと三條はふっと嬉しそうに笑って、大久保に全てを託した。三條ももう一人の寮監である岩倉も大久保と木戸の仲の悪さにはほとほと困り果てているのである。
 寮長と副寮長、生徒会長と副会長という立場上、大久保と木戸には仲良くしていて貰わないといけないのだが、傍から見て二人は決して仲が良いとは云えない。その二人が少しずつでも歩み寄ってくれるなら、それは教師としてとても喜ばしいと三條は感じている。その為に二人をわざわざ同室にしたのだ。共に生活をしていれば、互いを知ることも出来、二人の不仲も改善されるだろうと思った。こんな三條の心情を伊藤などが知ったならば、けらけらと笑って、無用の心配だと云うだろう。だが、何も知らない三條はただただ真面目に二人の不仲を気遣っているのだった。

「それでは失礼します」
「木戸君のこと、宜しくお願いしますね」

 玄関へと足を進めようとする大久保に三條が後ろから声をかける。ちらりと背後へ視線をやると三條がにこりと笑っているのが視界に入った。








 寮の四階の端にある寮長用の比較的広い部屋のドアを開ける。途端に視界が鮮烈な夕焼け色に埋め尽くされて、思わず眩しさに瞬きをした。何の障害物も無く、真っ直ぐに西日が入り込むこの部屋では先に帰ったほうが必ずカーテンを閉めているのだが、今日は当然のようにカーテンは窓の脇へ纏められたままだった。
 大久保は手に持った紙袋を部屋の中央にある小さなテーブルの上へ置くと、学生鞄を学習机の椅子へ引っ掛け、窓へと歩み寄った。薄汚れた素っ気無いカーテンが真っ赤に燃える太陽を覆っていく。一気に暗くなる室内に電灯を点すと人工的な光が無機質な備え付けの家具を照らした。

「ん、おおくぼ、さん?」

 擦れた熱っぽい声が聞こえて、大久保は木戸のベッドの傍に膝を付いた。布団を鼻先まで被って眠っていた木戸はぼんやりと瞼をくっ付けたり離したりを繰り返しながら、大久保を見ていた。汗で額に張り付いた黒髪の一房がなまめかしい。本来、木戸の額を隠していなければならない冷却シートは半分以上剥がれて、くちゃくちゃになってしまっている。
 木戸はぽってりと熟れた唇を動かして、小さく、お帰りなさいと云った。潤んだ瞳に大久保の仏頂面が映っている。

「起きられますか?」
「ええ、だいじょうぶ、です」

 大久保が手を差し出すと木戸は布団の中から熱に火照った指先を伸ばした。冷えた手のひらに乗せられたそれを軽く引っ張り、身体を起こさせる。ベッドに腕を付いて、起き上がった木戸は大久保を見ると緩く笑って、今日は遅かったですね、と三條と同じようなことを口にした。大久保が放課後に何処かへ寄ることは少ないからしょうがないのかも知れない。
 木戸は額に僅かながらに貼り付いた冷却シートを取るとそれをベッド脇に置かれたゴミ箱へ捨て、汗に濡れた額や首筋を拭った。暑くて仕方が無いらしい。熱は下がったと三條は云っていたが、本当だろうか。
 耳まで真っ赤に染めて、はあと熱い吐息を漏らす木戸に大久保はふと心配になり、ベッドに付いていた手のひらを木戸の額へと伸ばした。

「つめたい。大久保さんの手」
「まだ、熱いですね」
「だいじょうぶです。それより、プリン、買ってきてくれました?」

 触れた肌は昨日よりは下がっているものの、まだ平熱とも微熱とも云い難い温度をしている。38度近くあるのではないか。それでも昨日は40度近くあったというから、一応、熱冷ましは効いているようだ。
 ひんやりとした手の感触に木戸はうっとりと瞼を伏せて、それからふっと笑うと期待を込めた眼差しで大久保を見た。

「ちゃんと買ってきましたよ。今すぐ食べますか?」

 小さく溜息を吐きながら大久保は苦笑いをして、木戸の問いに答える。もちろん、と木戸は朱色の頬を綻ばせた。
 店名のプリントされた洒落た茶色い紙袋を引き寄せ、目的の白い箱を取り出す。小さなそれを開くと中にはシンプルな水色の陶器の器がひとつ。木戸が待ち望んでいたプリンだ。

「はい、どうぞ」
「有難う御座います」

 手のひらに収まるサイズの器を手渡すと木戸は本当に嬉しそうに水色のそれを受け取り、ぺこりと軽く頭を下げた。そして顔を上げると一緒に渡されたプラスチックのスプーンでプリンを掬い上げ、口に運んでいく。
 大久保は木戸が幸せの絶頂のような表情をしてプリンを頬張るのを横目で見ながら、大久保は帰り際に買って来た緑茶のペットボトルを開け、飲み口に唇を当てた。

「美味しいですか?」
「とっても。大久保さんも一口、いります?」

 何気なく聞いてみると、木戸はスプーンでプリンを掬って、すっと大久保へ差し出してきた。これを食べろということらしい。木戸の考えることが解らずに表情を窺えば、まるで子どものような悪戯っぽい笑顔。
大久保を揶揄って楽しんでいるのだ。けれど、大久保はもう間接キス程度で恥らうような人間では無い。躊躇いなく、ぱくりとそれを口に含むと甘いバニラの香りと濃厚な卵の味がした。確かに美味しい。木戸ほどでは無いが、大久保もかなりの甘党なのだ。せっかくあんな苦労をして並んだのだから、もうひとつ、自分用に買っておけば良かったと今更な後悔が沸いた。

「美味しいです」
「・・・・・・それはよかった」

 大久保の行動に木戸は驚いたように大きな瞳をぱちくりと瞬かせて、ぽかんとした表情をしていたが、すぐに柔らかく笑んだ。スプーンを再びふるふると震える黄色いカスタードの中へ沈める。焦茶色のカラメルを纏ったそれを赤い唇が含んでいく。その様を何とはなしに眺めながら、ペットボトルに口を付ける。
やっぱり何か買ってくれば良かった。あの時は女子に囲まれた店内から出ることで頭が一杯だったから、その時の状況を顧みればしょうがないと云えばしょうがないのだが、後悔というのは後でするから後悔なのである。

「大久保さん、ねえ、わたしにもそれ、ください」

 スプーンを置いた木戸が指差したのは、手に持ったペットボトルだった。どうやら咽喉が渇いたらしい。にこりと笑ってお茶を強請る木戸に大久保はふとある悪戯を思いついた。
 ペットボトルの中身を口に含み、ベッドに腕をつき、木戸の顎を掴んだ。突然のことに目を見開いて大久保を凝視する木戸に大久保は僅かに愉悦を覚える。そして、木戸の驚きに染まった瞳を見据えたまま、唇を重ねた。唇を開かせ、緑茶を口移しで飲ませる。咽喉を潤していく生温い液体に木戸は目を細め、ゆっくりと閉じた。

「・・・・・・移っても知りませんよ」
「大丈夫ですよ、多分。それに、ちゃんと看病して下さるんでしょう?」
「さあ。どうでしょうね」

 唇を離すと木戸はむすっと不機嫌そうな顔でそう吐き捨て、頬を膨らませた。大久保はそんな木戸の顔を覗き込み、柔らかく微笑む。木戸の反応が思惑通りで大久保としては微笑むどころか笑い出したい気分だ。
 木戸は大久保の心情を読み取ったのか、更に眉間を皺を刻み、小さく顔を背けて唇を尖らせると、残りのプリンを食べ始めた。

「木戸さん」
「何です」
「私が風邪を引いたら、そのプリン、買ってきてくださいね」
「・・・・・・知りません」

 大久保を視界に入れないようにしてプリンを頬張る背中に声をかけると木戸はちらりと大久保に視線を投げる。大久保はにこりと珍しく笑って、水色の器を指差して云った。
 木戸は顔を背けたまま、プリンの最後の一口を食べた。甘い濃厚な卵の味が広がって、とても美味しい。それなのに、さっき口移しで飲まされた緑茶の苦味が残っているようで何処か釈然としない。
 不満げな表情を浮かべる木戸に対して、大久保はとても満ち足りた笑みでペットボトルに口を付ける。カーテンの隙間から夕陽が差し込んで、そんな二人を柔らかく染めた。








 翌日。木戸の熱はすっかり引いて、咳も咽喉の痛みも収まり、全快した。昨日、一日中寝ていたので身体が鈍ったような気さえ起こさせるほど力が漲っていた。
 反対に大久保は風邪を引いた。木戸と同じ部屋で寝泊りしていた上に昨日のあの行為なのだから当然の帰結だった。ごほごほと咳をして、ぼうっと虚ろな目でベッドの中から教科書を鞄に詰める木戸を見る。
 木戸は今日の時間割をしっかりと準備して、制服のブレザーを着ると鞄を持ち、大久保の顔を覗きに来た。

「大丈夫ですか? やっぱり風邪引きましたね。まったくあんなことをするからですよ」
「木戸さん、」
「何です?」

 呆れたような、それでいて心配を滲ませた声音で木戸は云った。大久保はそんな木戸の顔を見つめ、熱に浮かされた擦れた声で名前を呼ぶ。木戸は小首を傾げて、大久保の言葉を待った。

「ぷりん。お願いします」

 木戸の目が僅かに見開かれ、盛大な溜息が落とされる。大久保はそんな木戸に不安そうな視線を向けた。木戸ははいはい、解りました、と呆れ顔で頷く。そして、大久保の汗にしっとりと湿った髪に指を通して梳くと、何時もの柔らかい笑みを浮かべた。濡れたタオルで大久保の額や首筋の汗を拭いてやり、甲斐甲斐しく世話を焼く。

「木戸さーん、遅刻しますよー」
「解った。俊輔、ちょっと待って」

 扉の向こうからの呼びかけに木戸は立ち上がり、ドアへと向かった。遠ざかっていく背中に聞こえないだろうと思いながらも、いってらっしゃいと見送りの言葉を呟くと、その背中が突然振り向いて、にこりと笑った。

「いってきます。安静にしててくださいよ、じゃないとプリン上げませんからね!」

 最後に微かに眉を釣り上げてそう告げると今度こそ木戸はドアの向こうへと消えていく。誰もいなくなった静かな部屋の中、ごそごそと布団に潜り込み、ひんやりとした氷枕に頬を押し当てる。ぼうっと熱に浮かされた頭で、目覚めた時に彼が傍にいてくれればいいと、微かにそんなことを願いながら、大久保は眠りに落ちた。








学園パラレルで大木戸。せっかくの学園パロなんだから、極普通にラブラブな高校生カップルであればいい。でも見た目は険悪で喧嘩ばっかりしてればいい。
この後、寮内で季節外れの風邪っ引きが量産されていきます。長州系には木戸さんから、薩摩系には大久保さんから。毎年一度は寮内で風邪が大流行するという。
途中の三條公のところに山縣を登場させたかった。山縣は花壇の世話を結構熱心にしてる。木戸さんもたまに手伝います。寮の花壇は何時もきれい。
途中のは木戸さんとの仲を冷やかされる大久保さんが書きたかったので。やじは結構目聡い子だと思うんだ。市ィは勘付いてるから大久保さんが好きじゃない。
後、口移しと「あーん」もやりたかった。ラブラブバカップル万歳。パラレルならではですよね、「あーん」とか(笑)