ファースト・インプレッション









「俊輔ぇ! ジュース買って来いジュース。僕はファンタのオレンジな」
「俊、俺はコーラ」
「じゃあ僕は烏龍茶を頼めるかな」
「わたしは緑茶で。はい、これお金ね。自販機の場所、解る? 一緒に行こうか?」
「はい、大丈夫です。行ってきます」

 まだ桜も薄紅色を華麗に咲かせている穏やかな春の午後。つい数日ほど前にこの長州中学校へ入学した俊輔は同級生である高杉と久坂、栄太郎と共に本日、初めて生徒会室というところを訪れていた。
 今の生徒会には見知った顔が幾人もいる。二年生ながら会長を務めている桂や書記である入江など同じ吉田寅次郎の下で学んだ仲だ。今でも吉田の私塾で一緒に机を並べ学んでいる為、余り上下関係も無く、今日も生徒会室を高杉曰く「突撃訪問」しても嫌な顔ひとつせずに迎え入れてくれた。
 そしてつい先程まで皆で他愛ない話をして楽しんでいたのだ。高杉が突然、咽喉が渇いた、と云い出すまでは。ジュースが飲みたいと云う高杉に俊輔は当然のようにお役目を云い付けられた。便乗して次々に飲み物を口にしていく皆に俊輔はわたわたとしながらそれを頭の隅に留める。最後に桂が財布から千円札を出して、背の低い俊輔に合わせるように屈み込み、心配そうに小首を傾げた。それに俊輔ははい!と大きく頷き、勢いよく生徒会室から駆け出して行ったのだった。





「あれ、生徒会室ってどっちだったっけ・・・・・・?」

 購買部や食堂、ロビーなどに設置されている自動販売機のひとつに若干迷いつつ何とか辿り着き、無事に皆に頼まれたジュースを買うことが出来た俊輔だったが、帰り道を行く今、完全に迷子となっていた。
 この学校は意外と広く、校舎だけでも大きいのにグラウンドも付属施設も多く、非常に迷い易い構造をしている。入学して三日は経つ俊輔もまだ校内地図を覚えられていない状態だ。そもそもここは何処だろうか。決して自分は方向音痴ではない、と俊輔は思っているのだが、それにしても生徒会室への帰り道も解らないとは。自分の記憶力の無さに泣けてくる。
 あっちでもないこっちでもない、と幾つもある校舎を歩き回る。もう日が暮れる時間帯で先生達も余り通らない所為か余計に心細く、不安感が押し寄せてくる。
 既に生徒会室を出て二十分は経っていた。このままでは高杉さんに怒られる、とあの凄みのある声が頭上から降ってくるのを思い浮かべ、俊輔はぶるりと肩を震わせた。

「お前、新入生?」

 そんな時だった。後ろから唐突に声を掛けられ、俊輔はびくっと身震いして、恐る恐る振り向いた。まだ学校にも慣れていないのだ、上級生に話しかけられて驚くなというほうが無理だろう。
 振り向いた先にはカッターシャツの袖を二の腕の辺りまで捲り、胸元のボタンを数個開け放して、ズボンに妙なベルトを嵌めた、いかにも恐そうな上級生が親しげな笑みを浮かべて立っていた。上靴の色を見る限り、二年生のようだ。

「は、はい」
「迷ったのか?」

 真っ黒な丸みを帯びた瞳でじっと見つめられて、俊輔は狼狽した声で頷いた。腕の中にある五つの缶ジュースを落としそうになりながら、それでも視線は逸らさずに真っ直ぐに相手を見る。俊輔の返事を聞いて、向けられる視線を受け止め返しながら、その上級生は再び口を開いて問いかける。

「はい」
「この学校、妙にでかいからな。初めてだと迷うよなあ。で、何処行きたいんだ? 案内してやるぞ」
「生徒会室です」
「生徒会室に新入生が用事って何だ? まあ良いけどな。ちょうど俺も生徒会室行くとこだったし。付いて来い」

 一瞬だけ訝しげに眉を顰めたけれど、すぐににかっと明るく笑って、その上級生は歩き出した。慌ててその後を追いかけながら、自分よりも十センチは高い背中を見上げ、不思議な人だなあ、と俊輔は小さく首を傾げる。
 第一印象では決して良い人そうには見えなかった。服装が大きいのだろう。大雑把に整えられた髪も僅かに茶色がかっており、首元にはシルバーアクセサリーが光る。どう見ても真面目な人には見えない。けれど、ほんの少し話しただけでこの人の性格から滲み出る気安さというか明るさというか、そういう陽性の雰囲気が伝わってきた。根は凄く善良な人なのかも知れないと思う。
 そんなことをぼんやりと思い巡らせていたら、目の前の白いシャツに包まれた背中にぶつかった。考え事をしていたから、上級生が立ち止まるのに気付けなかったらしい。

「すみませ・・・」
「そうだ、云い忘れてたけど、俺は井上な。井上聞多。聞多でいーぞ。お前は?」
「僕は伊藤、伊藤俊輔と云います」

 振り返ったその顔に謝罪をしようとしたら、それを遮って、あっさりとした自己紹介をされた。それに俊輔は慌てふためきながら、無難に答える。上級生―――聞多は俊輔の名前を聞くと、ふうんと一人納得したように頷いて、俊輔か、良い名前だな、とさっきと同じ明るい親しげな雰囲気が滲み出るような笑みを浮かべた。
 それだけで俊輔は胸がじんわりと温かくなって、何となく、この人とは仲良くなれそうだな、と思った。好きになれそうだな、と思った。それは本当に何となくで確信めいた予感などではまったく無かったけれど、それでも俊輔の中に小さな何かを残していった。

「ほら俊輔、着いたぞ」

 そこから数歩歩いた先で聞多が笑って、扉の上方にあるプレートを指差した。そこには「生徒会室」と書かれている。ドアノブにも「☆生徒会☆」とご丁寧に星マークまでついたプレートが下がっていた。
 何時の間にか、目的地に着いてしまった俊輔は聞多に有難う御座いますとぺこりと頭を下げた。その拍子に缶ジュースが一本落ちてしまいそうになったけれど、それを何とか食い止めて、俊輔はお辞儀した。形式ばったものではなく、本当に感謝の心からのものだった。聞多はそんな俊輔にこれくらい上級生として当然だろ、と彼特有の少し照れ臭そうな笑い方をした。
 そして、聞多はドアノブに手を掛け、手のひらの中にあるそれを捻った。扉が開く。開いた瞬間、僅かな扉の隙間から上靴がふたつ、飛んできた。それは見事に聞多の額と頬に当たり、廊下の床を叩いた。

「俊輔! 一体、ジュース買ってくるのに何分かかっちょるんじゃ! 遅すぎて待ち草臥れてしもうたわ」
「俊、お前は何でそんなに昔から要領が悪いんだ。自販機なんかすぐそこだろうが」

 室内から怒声が響く。その低く震えた声に俊輔はびくびくと身体を震わせた。恐ろしい魔物が二匹、扉の向こうで自分という哀れな獲物に喰らい付こうと今か今かと待ち構えているのが解る。
 扉を開けた途端、お見舞いされた最悪な歓迎に立ち尽くす聞多の背に思わず自分の身を隠し、俊輔はどうしようかどうしようかと頭を働かせた。だが、どう考えてもこの事態を打破出来るような策は浮かんでこない。
 そうこうしている内に自分が盾にしている聞多の背中がふるふると微かに揺れているのに気付いた。ドアノブを握り締める拳がわなわなと震えている。

「お前らなあ! たかがジュース如きでがたがた騒ぐな!」

 先程の高杉と栄太郎のものよりももっとドスの効いた、地の底から轟くような声に俊輔は目を丸くして、聞多の顔を覗き見て・・・・・・後悔をした。恐い、恐すぎる。俊輔が常々畏怖を感じている高杉に匹敵する、もしかしたらそれ以上かも知れないくらいに恐ろしい表情。さっきまでの明るくて気さくで優しい笑みがぼろぼろと崩れ去っていく。
 聞多によって大きく開け放たれた扉の向こうを背中越しに覗き込むと、高杉と栄太郎がさすがにヤバかったかな、と顔を見合わせていて、その隣で久坂がやれやれと溜息を落としており、デスクで書類を纏めていた桂は大げさなくらい憂鬱そうな表情で額に手を当てていた。聞多の怒りは収まらないらしく、ふうふうと荒い息を吐きながら、足元に転がる上靴を掴むとそれぞれに投げつけた。それを高杉と栄太郎は見事にキャッチし、いそいそと自分の片足に履かせる。
 どうにもこうにも事態の収拾が出来なさそうに思えた俊輔はひょこっと聞多の背と扉の影に隠していた顔を覗かせると、なるべく暢気な空気が読めてなさそうな明るい声でジュース買って来ましたよお、と云った。

「遅いぞ、俊」
「そうじゃ遅すぎじゃ」

 何とかこの事態を打開する糸口を見つけた二人が俊輔を咎めるように口を揃えた。それにへらっと何時もの笑みを浮かべて、すいません、と頭を下げ、二人の元へ駆け寄る。それぞれに頼まれたジュースの缶を渡して、すぐ傍に居た久坂にも同じように烏龍茶の缶を差し出して、最後に奥の机に座っている桂に緑茶を届けに行く。

「桂さん、これ、お釣りです」
「ああ、有難う」

 俯き気味に組んだ両手を額に押し当てていた桂に緑茶の缶と共に余った小銭を渡すと、桂は疲れたような笑みを浮かべた。桂の眉間に皺が刻まれているのは珍しくないが、思わずご苦労様と云い掛けて、口を噤む。
 そして、ちゃっかりと自分用に買って来たオレンジジュースの缶を握り締め、未だ怒りの余り肩で息をする聞多の元へと近付き、話しかける。ふと、思い出したのだ。ここに来る途中の会話を。

「で、井上先輩は生徒会に何の用だったんですか?」
「ああ俺? そうだ、会長、例の件だけど周布先生からの了承得たぞ」
「良かった。じゃあ精一杯盛り上げていかないと。詳しいことは後で決めるとして、明日の午後は収集かけないとダメかな」
「だな」
「種目はどうする?」
「去年と一緒だと面白くないから、何か新しいの加えてみようぜ。試験的に」
「運動場をどう仕切るか・・・、委員会と相談しないと」
「で、優勝商品の件だけど」
「例年通り、鉛筆とノートだと面白くないしやる気も出ないし」
「やっぱりちょっと捻ったものを出さないとな」
「その辺は聞多に任せるよ。後々、学校に呼び出されたりPTAや教育委員会で問題にならない程度に宜しく」
「了解、会長」
「えーっと、話に入り込めないんですけど・・・」

 俊輔の言葉に聞多はハッと用件を思い出したと云った風に奥の桂へ声を投げた。俊輔が缶のプルタブに人差し指を引っ掛け開けている間にも二人の会話はぽんぽん進んでゆく。内容は何とか解る。来月行われる球技大会の話だろう。種目だの優勝商品だのその辺から予測出来る。ただ聞多が何をしにきたのかが解っても、俊輔の疑問は解けなかった。
 再び小首を傾げ、缶ジュースの飲み口に唇を当て中身を一口含みながら、二人の空気を読みつつ会話が途切れたところを狙って、問いかける。

「そういや云って無かったっけか。俺、生徒会の会計やってんだ」

 振り向いて、あっけらかんと一言。それに俊輔は一瞬、ぽかんと呆けてしまい、慌てて口の中の甘ったるいオレンジジュースをこくん、と嚥下した。

「こんな格好しちょる奴が生徒会役員じゃなどと信じられんのはよう解る」
「晋作坊やにだけは云われたくないな。一年のくせにこんなもの持ってきて。風紀に目ぇ、付けられるぞー。お前、普通にしててもかなり目立つのに」
「やかましい。僕にそんな脅しが効くと思うちょるんか」

 目を丸くして驚く俊輔を見、すぐそこのパイプイスに腰掛けて、ファンタを飲んでいた高杉が口を挟む。すぐさま反撃に出る聞多に高杉は視線を強めて、聞多を睨んだ。聞多に指差された高杉の鞄からは漫画雑誌が教科書やノートと共に堂々と並んでいる。確かに風紀に見られたらすぐに取り上げられてしまうだろう。
 目の前で交わされる親しげな言葉の応酬に俊輔の頭は更に混乱した。高杉は何時の間に聞多と知り合いになっていたのだろう。高杉とは基本的に同じ行動を取っていたけれど、俊輔は聞多のことをまったく知らなかった。

「え、高杉さん、井上先輩と顔見知りだったんですか?」
「おう。そういやお前は会うたこと無かったか。まあこんな格好しちょるけど、悪い奴じゃあ無いから心配せんでええぞ」

 疑問符を浮かべて、高杉と聞多の顔を見比べる俊輔に高杉は聞多の頭を叩こうとしていた手を止めて、たった今気付いたかのようにきょとんとした表情を作った。実際、今気付いたのだろう。そして、俊輔が求める答えとはまったく違うことを口にしながら、聞多の服装を指差して、何時もの明るい笑い方をした。

「まあじゃあ改めて自己紹介でもしとくか。俺は井上聞多。二年一組だ。趣味は株とバイトと合コン。儲け話と可愛い女の子の情報は何時でも大歓迎。宜しくな、俊輔」
「こちらこそ宜しくお願いします。井上先輩」

 俊輔に向き直った聞多が揶揄い含みのからりとした笑みを浮かべて、一通り述べ終わると大きな手を差し出した。特別綺麗な訳でもごつごつしている訳でも無い極普通の手のひら。聞多の云い方に思わずくすりと笑いながら、俊輔はその手に自分の手を重ねた。ぎゅ、と握り締められると温かな感触が伝わる。
 自分のそれと交わる手のひらの温もりに俊輔は新しい日常の始まりを思った。これからの、新しい先輩と友人と先生と、彼らによって築かれるであろう新しい日常を。








中学生時代の俊輔と聞多。後の御神酒徳利の運命的(?)な出会い編。以前、日記に書いた萌えを少し改変して書いてみた。
聞多はこう不良っぽいイメージ。行動は極普通なんだけどね。身につけているシルバーアクセは君尾姐に買って貰ったという密やかな裏設定が(意味無いな)
俊輔と聞多はさ、これからちょっとずつ距離を縮めていって、次の年のイギリス短期留学で親友!っていう関係になればいいな。留学話はかなり妄想が膨らむ。
高杉は聞多と既に仲良しです。こうちょっと色々裏設定が・・・(またか) 個人的に聞多と高杉は小学生時代から親交があると萌える。それだけ。