軌跡の向こう









 何だか落ち着かない気分だった。何かを成し遂げた感覚があるのにしっかりと掴むことの出来ないそれはふわふわと宙を彷徨って、久坂に確固たるものを与えてはくれない。
 だからかも知れなかった。こんな風に女の肌に縋り付いているのは。馴染みの妓の肌は柔らかく、抱き締めたら女性特有の甘い匂いがした。白粉と香とが交じり合った人工的な、それでいて生身の女が纏う生気に満ちた匂い。抱いた身体は確かな感覚を久坂の手に与えてくれ、それが腕の中にあることを教えてくれる。
 求めているのはこの確かさなのに、本当に手にしたいそれは曖昧な輪郭しか持っておらず、それをどうすればはっきりとしたものに出来るのかさえ、今の久坂には解らなかった。全てが手探りで、だからこそ焦りが生まれる。焦燥感ばかりが募り、早く駆け出したいという想いを抑え込むのに必死だった久坂を女は優しく包み込むように抱いてくれた。甲高い声を上げ、髪を揺らしながら、それでも女は久坂の背に手を回し、爪を立てる。
 女を抱いているのは自分のはずなのに、と腑に落ちない感情を覚えるものの、それは確かに抱かれている感触なのだった。





 目を瞑ったら瞼の裏にごうごうと燃え盛る炎が映った。瞬きをしたら瞳に不機嫌な顔をした幼馴染の顔が映った。

「義助、お前、朝帰りしたんじゃってな」
「それがどうかしたのか?」
「どうかしたわ。おかげで僕だけが桂さんに絞られる破目になった。僕とお前が先導したんじゃろうとか云うて。まったく云いがかりも良いところじゃ。義助、お前も一遍食らってみい。長いぞ、あの人の説教は」

 板の間に寝転がってぼうっと天井を見上げていた久坂の隣に高杉は乱暴に腰を下ろした。小柄な高杉の身体でも古い床は耐久性が無いらしく、ぎしぎしと音を立てる。そして昨晩、久坂の居ない間に行われた大説教に対する文句を云い連ね、不満げに唇を尖らせた。その幼馴染の子どもっぽい様子に久坂はくすりと笑って、口の端を持ち上げる。

「嫌だね。僕だってあの人のお説教は遠慮したいよ」
「今晩、お前にも呼び出し来ちょるけどな」

 苦笑いをして天井を見つめる久坂に高杉はにやりと少し嫌味っぽい笑みを乗せて連絡事項を告げる。久坂はそれにはあ、と大きな溜息を吐いて、先に云えよな、とぼそりと呟いた。久坂の苦り切った様に今度は高杉が笑い声を上げる。いい気味だと口許を歪めて久坂の顔を覗き込んだ。途端、茶色い天井から今は見たくも無い幼馴染の顔へ視界が変化する。
 久坂の瞳に映り込んだ高杉は久坂が思ったよりは普通の顔をしていた。何時もの下手したら殴りたくなるほどの嫌味な表情では無かった。何か知りたそうなもどかしげな顔をしていた。

「どうかしたのか」
「どうもせん。ただ、お前はどう思ったのかと思っただけじゃ」

 先程の問いを再び繰り返す。今度は高杉は首を緩く横に振った。結い上げた髪がぱさりと揺れる。高杉の質問は主語が見当たらず、普段ならば答えようの無いものだった。
 けれど、久坂には高杉が自分に訊ねたいことが解るような気がした。昨晩、女の身体の質感に求めたもの、それを高杉も探しているように思えた。曖昧すぎるそれは久坂がどれだけ頭の中を引っ掻き回しても、言葉に出来るものでは無い。
 それでも伝えたいと思うのは、久坂がこの幼馴染を自分の片割れのように感じているからかも知れない。正反対、だとお互いに思っているのと同じくらい、自分と高杉とは似ているのではないかと久坂は思う。直感にも似たそれはつい最近、抱き始めたものだった。
 本格的に意見を違えてみて初めて、思ったのだ。自分とこの幼馴染は実は物凄く酷似しているのではないのかと。

「晋作」
「何じゃ?・・・・・・って何しちょるんじゃ」

 着物の襟を掴んで引き寄せると、小柄な身体はあっさりと久坂の上に倒れ込んだ。七寸近く身長差がある高杉は久坂の胸に顔を押し付けられ、驚いたように目を丸くして見上げてくる。そんな高杉の反応に見向きもせずに久坂は高杉の背に手を回した。細いようで案外しっかりとした感触が伝わってくる。当たり前だ、男なのだから昨夜の女のように柔らかく無いに決まっている。
 幼馴染にこの感情は伝わっただろうか。酷く神妙な顔をしているからきっと伝わったのだと思いたい。この胸の蟠りももしかしたら、伝わってしまったかも知れないけれど。
 全ては動き出しているのに自分の手で動かしているのに何処かまだ曖昧で息苦しい。あの日、見上げた炎には何の意味があったのだろう。確かに感じたのは幕府に対する爽快感で、けれど何故か虚しさが拭い去れなかった。ちゃんとした成果を実感を掴んでいるはずなのにその感触が得られない。焦燥感が胸を焼き、確かだと信じていたものが揺らぐ。
 このまま突き進んでゆけば良い。突き進んでゆくべきだ。それが真実で正義できっと先生も望んでいること。それならば、ああどうして。こんなにも目の前が霞むのだろうか。

「・・・・・・僕はなあ、ずっとお前が羨ましかった」
「は?」

 僅かに腕に力を込めると確かな生身の人間の感触。高杉はそんな久坂に呆れたような溜息を漏らし、ふっと瞼を閉じるとぽつりと呟いた。高杉の小さな声に耳を澄まして、告げられた言葉に小首を傾げる。
 反対に久坂のほうが今なら云いたかった。僕はお前が羨ましい、自信に満ち溢れた顔で全ての行動を起こすお前が。そしてその度に何かしらを掴めているお前が。心底、羨ましいのだと。

「じゃから、そんな似合わん顔はせんと笑っとけ。嫌味なくらい自信満々なのがお前じゃろうが。・・・・・・もう、振り返らんと云ったじゃろ」

 自分を信じられる力が欲しかった。それまでは確かだと思ってきた道をふと振り返った瞬間、沸いてくる後悔を振り払う力が欲しかった。このままで良いんだと誰かに云って欲しかった。急くように駆け抜けた数年間、この手に何が掴めたかなんて確かめようの無い事柄に囚われてしまうのはきっとたった一度だとしても、自分を疑ってしまったから。
 にやりと笑う高杉に救われた気がした。それと同時にああ、やっぱり伝わってしまったんだな、と思った。付き合いが長いというのはこんな風にある程度、以心伝心になってしまうから困る。本当に伝えたいことはまったくといって良いほど、伝わってはくれないというのに、どうしてこんな格好悪い感情だけが伝わってしまうのか。

「まったく、晋作には敵わないな」
「義助が負けを認めるなんて珍しい。明日は雨が降るな」
「いや、雪かも知れないぞ」

 苦笑いをして頭を掻く。本当にこの幼馴染には敵わない。そう、あの日誓った約束を自分はまだ忘れたわけじゃない。だからこんな風に懸命に走っているんだ、息を吐く暇も無く、ずっと。
 開いた障子の向こう側を気にする高杉の頭を叩きながら、久坂もまた明日の空模様を案じた。このどんよりと曇った灰色の空に白い雪がちらちらと舞い始めるのではないかとそればかりを期待して。








久坂さんと高杉。英国公使館焼き討ち後。江戸長州桜田藩邸にて。何が書きたかったのか解らないけど、双璧がまともに文章になるのは珍しいので載せてみる。
最初の久坂さんが焦りの余り、女を抱いているシーンが浮かんで、それに適当に文章引っ付けたらこうなりました。性格が絶対おかしいです。
とりあえず高杉の長州弁に関してはもう適当にも程があるので、現地の方には笑い飛ばして貰えると幸いです。
久坂さんと高杉は意外と似てるんじゃないかと思います。意地っ張りなところとか。後、以心伝心だと思う。妙なところが通じ合ってる二人だと思ってます。