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きっと僕らはあの頃の夢をもう見ることは出来ない。 あの日、皆で笑って語った、夢を。 「聞多ぁ」 「何だ」 「皆、死んじゃったね」 ぽつりと呟いた言葉は本当は口にしたくない事柄だった。 海岸沿いの道、晴々とした青空と白く波打つ海を眺めながら、僕は隣で同じように黙りこくって水平線を見つめる聞多に話し掛ける。 ――――――英吉利が長州を攻撃するかも知れない。そんなことになれば、国力にこれだけ差のある長州が勝てる訳が無い。 新聞で長州が連合艦隊に向かって砲撃をしたということを知った僕らは反対する他の三人を何とか言い包めて、日本へと戻ってきた。 でも日本に帰ってきた僕らを待っていたのは、余りにも辛い現実だった。たくさんの同志が死んだという、長州が朝敵になったという、事実。栄太も久坂さんも入江さんも寺島さんも来島さんも、皆、居なくなってしまった。国許に戻った僕らを迎えたのは幾つも屍。 「そうだな」 大きな船で横切った何処の海とも違う、馴染んだ日本の海の色から視線を外さずに聞多は感情の読み取れない声で答えた。僕はそんな聞多が何を見ているのか知りたくて、聞多の視線の先を見遣る。そこには真っ青な空と波立つ海だけが存在していた。 本当にそれだけなのに、何故だか聞多が何を見ているのか、解った気がした。 聞多が見ているのはきっと、海の向こうの国。僕らが見た現実。攘夷が不可能だという事実。僕らが失くしたものと彼らが残していったもの。 禁門の変(蛤御門の変)と呼ばれるその戦は無謀なものだった、と聞いている。久坂さん達が最後まで反対していたということも。 そんな中、都の炎に消えた彼らは純粋に志に殉じたのだと思う。池田屋で新撰組の刃に倒れたという栄太だってきっとそうだ。 彼らが見たものはきっと美しかった。あの日、そうあの公使館焼き討ち決行の日、見上げた炎のように美しく、鮮やかに燃えていたに違いない。 でも僕らは理想とか志とかそんなものではどうにもならない圧倒的な現実を見てしまった。知ってしまった。綺麗事だけじゃ何も解決しないのだと、理解してしまった。 だからきっと僕はもう昔みたいに彼らと一緒に志に殉じることが出来ない。理想を捨てたとは云わないけれど、僕は妥協点を見出す術を覚えてしまったから。 彼らが残した志を継いで、残された僕らは前を見据えなければならない。これから来るであろう厳しい現実を全て受け止めながら。けれど僕は彼らが残した真っ白な志と暗い現実とを擦り合わせ、混ぜ込んで、灰色にしていくのだろう。現実を知った僕に真っ白な輝きを秘めた彼らの想いは重たすぎるから。真っ直ぐに見つめることが出来ないから。 「それにしても厄介な仕事、残してくれちゃったよねえ。きっと幕府も外国も攻めてくるよ。聞多ぁー、どうする?」 「どうするも何も戦うしか無いだろ。外国とは何とか講和を結んでー・・・」 溜息交じりに話題を変えるかのように、大きく伸びをして訊ねると聞多は大きな溜息を落として、吹っ切れたような顔をして苦笑いをした。聞多の苦い笑みに僕もまた苦笑する。 彼らが置いて逝った仕事はとても大きくて難しくて大変で、でも僕らはそれを何とかしていかなければならない。現実を見据えた僕の前に山積みにされた問題達は彼らが理想に向かって突っ走った先に残った後始末ばかりだけど、それはきっと僕らに残された役割のひとつだから。 「対幕戦、厳しいものになるだろうね」 「まあ、押し付けられたものはしょうがない。何とかするしか無いだろ。まだ高杉も居るしな」 「そうだね、高杉さんが居るもんね。ああー、にしても」 「たくさん死んだな」 当たり前のことを意見として述べると聞多は苦笑いを崩さずに困ったような顔をして、高杉さんの名前を挙げた。久坂さん達が居なくなった今、僕らのひかりとなるであろう人の名前を。 その呼び慣れた名前を反芻してから、ひとつ呼吸を置く。放った声は一旦途切れ、その次に咽喉の奥から押し出そうとした言葉は、聞多によって紡がれた。 ハッと目を見開いて、聞多の顔を見る。ああ、今きっと僕らは同じ気持ちを抱いて、この水平線の先を見つめている。きっと同じものを。 「うん、そうだね。もう栄太の憎まれ口が聞けないと思うと僕、ちょっと淋しいかも」 よく一緒に遊んだ幼馴染はほんとうに性格が捻じ曲がっていて(僕も人のことを云えた義理じゃないけれど)、いつも辛辣な科白を投げ付けられていた。頭の回転速くて知識もあって脳みその出来だけは素晴らしくて、よく馬鹿にもされていた気がする。意地悪だと何度も思った。 だけど。 栄太が本当は酷く純粋で真っ直ぐな人間なんだということもまた僕はよく知っていたんだ。 その栄太の憎まれ口さえ僕はもう聞くことが出来ない。改めて、そう思うと切なくて悲しくて、胸に込み上げるものがあった。 「俺も久坂の顔見れないと思うとちょっと淋しいな。来島の爺さまにも金返さないといけなかったし・・・」 「返す気なんて無かったくせに」 「そうなんだが。こうして居なくなると返したくなるもんなんだよ。今までの恩も一緒にな」 さっぱりとした、なのに悲しみを含んだ声が紡ぐ事柄に僕はすかさず突っ込んだ。でも聞多は場を明るくしようとする僕の声を無視して、きっと来島さんの豪快な笑い方を思い出しているのだろう、しみじみとした声で聞多らしくも無いことを云った。 僕にはその気持ちが痛いほど解って、苦しいくらいに胸を圧迫するそれの欠片を吐き出すように、大きく息を吐いて頷いた。 ほんとうはずっと無視していたかったけど、自分を欺き続けていたかったけど、そんなこと結局出来るはずも無いことを僕はようやく思い知って、泣いた。ううん、違うな。僕はきっともうずっと泣きたくて堪らなくて、感情を吐露したくて、こうやって聞多をこの海へ、馴染んだ海岸へ呼び出したんだ。 とても綺麗で優しい色をした彼らも愛したであろう故国の海へ。そして僕もまた愛している、美しい色の海へ。 「俊輔」 聞多もまた何かを堪えていたようで、僕につられるように涙を流した。尤も、僕とは違って、この喜怒哀楽の激しい男のことだから彼らの訃報を知った時、泣いたのだろうけれど。 ぽたぽたと地面に吸い込まれていく塩辛い滴。海風が頬に張り付いた一筋の髪を乾かすように撫ぜて空気に溶けてゆく。みっともないくらいに嗚咽を零して、僕は泣きじゃくる。胸に込み上げてくる想いは大きくて重たくて、苦しくなるばかり。 大声を上げて泣く僕の震える肩を聞多は静かに涙を落としながら、逞しい腕で抱いて、優しく名前を呼んで、慰めるように頭を撫でてくれた。僕はそんな聞多の着物を掴んで、顔を押し付けて、甘やかされるままに甘えて、悲しみを吐き出した。 |