あの人の瞳に映る私









 自分に他人に誇れるようなものが何も無いこともどう足掻いたって奥さんには敵わないことも周りからの視線が厳しいことも何もかも。私は知っていたし、きちんと理解してもいた。何も考えていないように見えるかも知れないけれど、心の奥深く見えないところで私はたくさんのことを考えている。
 昔はこんな風に振舞うこともなく、ちゃんと考えるべきことやふと感じたことを思い巡らせていた。けれど、あるとき、そうやって考えていたら、だんだん頭が痛くなって、胸が苦しくなって、笑顔を取り繕えなくなってしまった。
 そうしたら、あの人は笑って、そう難しいかおをするな、と云った。おまえは笑っているほうがいい、何も考えないで笑っていろ。そういうおまえのほうが僕は好きだ。
 だから、私は今、考えすぎないようにしている。何も考えていないフリをして笑っている。あの人が求める女を演じ続けている。こうして奥さんの元へ帰るあの人の後姿を見送りながら、それでも決して引き止められない自分の身の上やあの人が奥さんにどんなかおで話し掛けるのだろうということは、努めて考えないようにしている。考えてしまうとたぶん、表情に出てしまうだろうから。そんな私をあの人は求めない。
 私は特別な美人というほどの容姿はしていないし、性格にも特筆すべきものはないし、芸事だってそれなりに練習はしたから人前で恥かしくないくらいには出来るけれど、得意という訳でもなくて、つまりは平凡でつまらない女だ、と自分で自分を評するとそういう風に感じる。
 対して奥さんは萩の町一の美人で、身分も良くて、品があって、気が利いて、あの人との間に子どももいる。私なんかとは比べ物にならない。
 そんな事実を自分で自分に突きつけるのは余りにも自虐的過ぎると私も思うけれど、考えずにはいられないのだから仕方が無い。
 あの人がどうして私を好いていてくれるのだろうと思うとき、そこには必ず奥さんの影がある。これは絶対に消せなくて、私にとっては酷く、辛い。
 あの人が奥さんや子どものことを語るときは幸せそうだ。それは彼女のことも子どものことも慈しんでいるのだろうと誰にでも察せられてしまうほどで、だからこそ私は自分の存在の意義を確かめたいと思うし、自分と奥さんの違いを求めて、あの人が私を好いてくれている理由が欲しいと思ってしまう。
 だから私はあの言葉に縋りつく。笑っている私のほうが好きだと云った、あの人の他愛ない言葉に。

「おうのはいつも笑っていて癒される」

 褥の中であの人は笑った。私はそんなあの人の為に一生懸命笑顔を作る。何にも考えていない、あの人が求める「おうの」になる。あの人が好きな「おうの」は何も考えずにただ笑って、好きなときに好きなだけあの人に抱かれて、疲れたあの人を包み込んで癒してやる、そんな女だ。
 ―――――― そして、私はそんな女で在りたい。

「っこほ、けほ・・・」
「だいじょうぶどすか?」

 急に咳き込む背中を撫ぜ、俯いたその表情を覗き込む。あの人は苦しげに表情を歪めて、私の胸に顔を埋めて背中に逞しいとはとても云えない腕を回す。ぎゅうっと抱き締められて私は何も云わずにその髪を梳き、病んだ背中を擦った。
 最近、富に咳き込むことが多くなった。たまに熱を出して倒れることもある。きっと何か病にかかっているのだろう。身体を病魔に蝕まれているのだろう。病についての知識なんて欠片も持っていないから、私にはそれを察して、あの人に伝えることしか出来ない。
 けれど真面目な顔をして云ってみても、あの人は自分は幼い時から身体が弱かったから、こんなのは何時ものことだと笑うだけで、一向に私の助言を聞き入れてくれる気配は無い。
 あの人は、解っている。私が些細な事柄で敏感に感じ取っている何か、をきっともっとずっと前から。解っていて何もしないならそれはあの人の選択であり、私はもう何も云えないのだ。私にはそんなことを云う権利は無い。
 あの人がどんな人生を歩むとしても、どんな風にその命を燃してゆくのだとしても、私はあの人の傍に居たい、付いてゆきたい。だから私はこうして傍に居る。あの人が私を「おうの」と呼ぶ限り。私を好きだと笑う限り。

「ああ、大丈夫だ」

 私に心配をかけまいとしているのか、明るい笑みを無理矢理に浮かべるあの人に私は曖昧に微かな笑みを唇に乗せることしか出来ない。
 あの人の求める「おうの」で在り続けること、それだけが唯一私に出来るあの人に対する慕情の表現手段なのだから。
 笑って、あの人を抱き締めてやればいい。あの人がほっと安心して息が吐けるような場所を作ってやればいい。 あの人がどんなことをしても何も云わずに何も解っていないフリをして在りのままを受け止めてやればいい。あの人がその一瞬でも幸せで在ればいい。

 あの人が、そんな私を好いてくれればいい。





「おうの、笑え」

 鏡台を前に毎朝、髪を整えるみたいに笑顔を作る練習をし出したのは何時からだっただろう。
 あの人が赤が好きだというから赤い着物を纏ってみたり、梅の花が好きだというから梅の簪を挿してみたり、化粧の仕方だって歌の唄い方だって一々彼の云うことひとつひとつに耳を傾けて直していく作業はとても楽しくて、それで少しでもあの人に褒めて貰えたならそれだけで幸せ。
 少しでも私を好いていてくれると解る、たったそれだけの科白が酷く嬉しい。
 劣等感に苛まれても、あの人が笑って好きだと云ってくれたなら、そんなもの全部吹き飛んでしまって、さっきまでの自分が嘘のよう。
 だから、私は笑う。あの人が好きだといった、「おうの」であの人の傍に在りたいと願う。あの人の瞳に映る私が何時だってあの人の好いてくれる私で在ればいいと思う。

 だから、私は笑う。あの人の好きだと云った笑い方で、何時だって笑っている。それだけが唯一私に出来るあの人に対する愛情の表現方法だから。








正直全然纏まっていない気がするんですが、おうのちゃんと高杉の話。お雅さんが帰った頃、慶応二年の四月始め・・・かな。顔合わせ済みの頃で。
おうのちゃんはこんな風に案外色んなことを考えていても良いし、本当にぽやんとしてても良いです。可愛ければどっちでも良し。
とりあえず、このカップル好きです。おうのちゃんは結構幸せだったんじゃないかな。物凄く切ないけれどね。
二人が一緒に過ごした時間は本当に短い間だったけれど、高杉の命が鮮やかに燃え盛ったように二人の愛情も燃えてたんだと思います。